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略縁起

愛染霊場第十番札所である高野山「増福院」は、清和天皇の第六皇子貞純(さだずみ)親王を父にもつ鎮守府将軍、源満仲公の末孫多田仲光の三男源賢和尚の開基によるといいます。

「今昔物語」では、この源賢和尚は天台の僧として父満仲公の殺生を悲しみ、天台座主院源とともに仏法を説いて出家させたとの説話もあります。満仲公は弘法大師の讃仰厚く、一門の「福祐増進を祈るべし」と誓願されたことにより寺号が増福院と名付けられました。

また、清和天皇の御代(平安時代前期)には、土岐山城守の長子以空上人が入寺し、中興したとの記録が残っています。

現在の高野山には五十二の宿坊があるが、江戸時代には二千もの寺院が軒を連ねていた。
それらの寺院は合併を繰り返し今日に至っている。増福院も華王院、常住光院、上珠院が併合され、元々は華王院のあった場所に建っています。



○常住光院
明遍上人の開基である。
慶長年間徳川東照公の帰依厚く、関ヶ原の役両人公の陣営に持して祈祷を凝せり、
戦捷の後その功を賞し克一首の和歌を賜る。

「旅なれば雲のうへなる山こえて袖の下にそ月をやとせる」

その後も春日二位局の信仰浅からず羽子板、
狩野探幽の屏風絵等を拝領している(非公開)


○華王院
覚海により創立。
覚海は健保五年高野山検校に補される。
翌年吉野山執行春賢なるものが御廟橋下に吉野領の標榜を掲げて
高野山内に狼藉を働いた事があった。
この時、高野山を護り宗義を発揮し、大いに後学を養成して法脈を千載に繋げる等、
功績は今も讃えられている。



〇増福院に縁のある墓碑
春日局 佐久間將監 佐久間佐吉 稲場家
大給家(豊後府内城主) 宍戸家(長州家老)
北條家(當時遠江掛川城主) 佐久間家(信州
飯山舊城主) 牧野家(丹後田邉城主)
木俣家(江州彦根) 加藤家(奥州會津舊城主)
尾州家 堀家(越後村城主) 観世家 市川團十郎
御詠歌: 今ここに 愛に溢れし仏あり 福増す寺の 愛染明王
宗派: 高野山真言宗
開山: 源賢和尚
創建: 平安中期
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増福院の主なみどころ

本堂・天弓愛染明王

本堂にお祀りされているご本尊の天弓(てんきゅう)愛染明王は、以前の修復の際、その胎内より二つの書き物が見つかった。一つにはこの像が江戸時代の前半の作である事が記載されており、さらにもう一つの書き物の紙は固まった形で見つかり、現在、その書き物がいつ頃のもので何が書かれているのか調査中である。

天弓愛染明王は、経典の「衆星光を射るが如し」に基づいて作られたという。

左右第二手で弓に矢をつがえて、天に向かって矢を射る異形の姿の「天弓愛染明王」である。

宿坊としての増福院

高野山への参拝する上で、楽しみの一つとなるのは、なんと言っても「宿坊」での精進料理、客室、お風呂や庭園を堪能しながら、心安らぐ聖域での一夜を過ごし、本堂での早朝勤行に参加されるのも良い想い出となることでしょう!

■使用用途:
・宿坊、昼食、個人・団体の参拝・観光・研修が可能です。

■部屋数:
・壁仕切り個室(15室)
・ふすま仕切り個室(10室)・大広間(1室)

■収容人員:
・個人約80名
・団体約80名

※回向・祈願・ご先祖供養・納骨・諸祈願も承ります。


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INFORMATION

参拝時間 9:00 〜 16:00
お休み 年中無休
参拝料金 参拝料は無料です。
宿坊収容人数

部屋数
個人約80名・団体約80名

壁仕切り個室(15室) ふすま仕切り個室(10室)・大広間(1室)

交通アクセス

南海高野線高野山駅 下車、南海バス「霊宝館前」下車、徒歩1分
JR和歌山線を利用の場合は橋本駅で南海高野線に乗り換え、
以下同じ。

高野山駅 から徒歩20分(1.6km)
極楽橋駅 から徒歩27分(2.2km)

南海高野山ケーブル
 最寄のバス停「高野山駅前」 → 「霊宝館前」 下車 徒歩1分(40m)
 


大阪方面から、国道170号線九度山町より高野山道路経由で高野山へ。
阪和自動車道和歌山ICまたは、阪和自動車道美原北ICより90分。

乗用車10台 無料
 

交通アクセス(地図)
  

お問い合わせ

『増福院』
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山339番地

 TEL
0736-56-2126
  



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